ツァラトゥストラかく語りき

ツァラトゥストラかく語りき

『ツァラトゥストラかく語りき』の概要
「ツァラトゥストラかく語りき」は
後期ニーチェ思想の集大成とされ、
その内容は全4章に分かれています。

第一部では、十年ものあいだ
山奥で一人思索にふけっていた
ツァラトゥストラが、あるとき
下界の人々に自分の知恵を
分け与えようと思い立ち、
山を降りて自らの教えを説く姿が描かれます。

第二部では、自分の思想が
まだ人々の間に
受け入れられないことを悟って
山へ帰ったツァラトゥストラが、
下界で自分の教えが
誤った形で広まっていることを知り、
再び山を降りて、弟子たちや
敵対する者たちに向き合います。

そして本書の締めくくりとなる
第三部と第四部では、
ニーチェ思想の核心とも言える
「永遠回帰」の思想が
ツァラトゥストラの口から語られます。

永遠回帰とは、ざっくり言えば
自分の人生が寸分たがわず
永遠に繰り返されるという思想です。

そして、この思想を受け入れた時、
人はルサンチマン(=弱者が強者を妬む気持ち)
を乗り越えて超人になれるのだと
ニーチェは説いたのです。

ツァラトゥストラかく語りきの名言集
君よ、大いなる星よ。
いったい君の幸福もなにものであろうか、
もし君に光り照らす相手がいなかったならば。

(ツァラトゥストラの序説)

十年の山籠もりを終え、
人の世界へ下る決心をしたツァラトゥストラの言葉。

ここでは、ツァラトゥストラがの心情が
星に例えて語られていますが、
ニーチェはこのような比喩を好んで良く使います。

こんなことがあってもいいものだろうか。
この老いた聖者は、森のなかにいて、
まだ何も聞いてはいない。
神は死んだ、ということを

(ツァラトゥストラの序説)

ツァラトゥストラが
山を下るときに出会った聖者との
会話の後に語った台詞。有名な台詞
「神は死んだ」はここが初出です。

ここで登場した聖者は、旧態依然とした
ニーチェ以前の哲学者の象徴であり、
この言葉には、自分たちの世界に引きこもって
現代社会の変化に全く気づいていない
聖者に対する、ツァラトゥストラの
驚きが含まれています。

わたしは諸君に超人を教える。
人間は、克服されねばならない何かだ。
君たちは人間を克服するために、
何をしたか。

(ツァラトゥストラの序説)

森のはずれの街にたどり着いたニーチェが、
群衆へ向かって最初に語りかけた言葉

「超人」とは、既成の価値観を否定し、
絶えず新しい価値観を創造する存在のこと。
ニーチェはこの「ツァラトゥストラ」を通して
超人とは何か、なぜ人間は超人を
目指さなければ何かを明らかにします。

超人は大地の意義である。
君たちの意思はこういうべきだ。
超人よ大地の意義であれ、と。
我が兄弟よ、わたしは心から願う。
大地に忠実であれ、
そして諸君に地上のものならぬ希望を語るものどもを、
信じてはならないと。
自らそれを弁えていようといまいと、
彼らは毒を盛ろうとしているのだ。

(ツァラトゥストラの序説)

「地上のものならぬ希望」とは
キリスト教の教義にある
死後の世界のことでしょう。

ニーチェは「ツァラトゥストラ」において、
キリスト教の教えや道徳を徹底的に批判します。

人間は綱だ、
動物と超人との間に掛け渡された―――
深淵の上に掛かる、
一本の綱だ

(ツァラトゥストラの序説)

ツァラトゥストラが演説を行った広場では、
丁度綱渡りの見世物が行われていました。

それにあわせてか、ツァラトゥストラは
人間と動物、そして超人の関係を
綱渡りにたとえて表現しています。

わたしは愛する。
人間の上にこめるくろ雲から、
一粒ずつ落ちてくる、
思い雨垂りのような者たちを。
彼らは稲妻が来ることを告知する。
そして告知するものとして破滅するのだ。

(ツァラトゥストラの序説)

ツァラトゥストラが、
自分が愛する人間について列挙した中の
最後の一節です。

超人の到来を予知するものとは、
まさにツァラトゥストラ自身を
指しているのでしょう。

見よ。わたしは諸君にこの最後の人間を示そう。

「愛って何? 創造って? 憧れって? 星って何?」

最後の人間はそう尋ねて、まばたきする。

その時大地は小さくなる。
そしてその上で、
一切を小さくする最後の人間が跳ね回っている。
その種族は地蚤のように根絶やし難い。
最後の人間はもっとも長く生き延びる。

彼らは生きるに苦しい土地を見捨てる。
温もりが要るから。
やはり隣人を愛し、
その身をこすりつける。
温もりがいるから。

病気になること、不信を抱くことは、
彼らにとっては罪である。
用心してゆっくりあるく。
石に躓いても、人に躓いても、
そいつは世間知らずの阿呆だ。

ときどきわずかな毒を飲む。
心地よい夢が見られるから。
そして最後には多くの毒を。
そして心地よく死んでいく。

働きもする。
労働はなぐさめになるから。
しかしなぐさめが過ぎて、
身体をこわさないように気づかう。

彼らは悧巧で、
世間で起きることならなんでも知っている。
だから彼らの嘲笑の種は尽きない。
口げんかくらいはする。
だがまもなく仲直りする―――
そうしないと胃に悪いから

小さな昼の快楽、
小さな夜の快楽をもっている。
だが健康が第一だ。
「僕らは幸福を発明した」―――
最後の人間はそう言って、
まばたきする―――

(ツァラトゥストラの序説)

自説に聞く耳を持たない大衆に対し、
ツァラトゥストラは方向性を変えて、
今度は超人の対極に位置する
最後の人間(末人)について話します。

末人とは、ここで言われている通り
健康に気を使って冒険をせず、
安寧な日々を貪って
生を浪費するだけの人々であり、
ツァラトゥストラはそんな末人を
強い言葉で蔑んでいます。

しかし、末人の生き方は、典型的な
現代人のライフスタイルそのものであり
超人と末人、どちらかになれと問われれば、
圧倒的多数が末人を選ぶでしょう。
(超人は孤独であり、最後には破滅することが分かっていますからね…)

作中でも、演説の後に群衆の一人が
「俺たちを最後の人間にしてくれ。
超人はお前にくれてやる!」といった
野次を浴びせています。

ニーチェの提唱する超人は、
私を含めた凡人にとっては
あまりに厳しい生き方ですが、
それだけに尊い存在なのかもしれません。

もっとも重いもの。それは、
おのれの傲慢に痛みを与えるために、
みずからを卑しめることではないか。
己の知恵をあざけるために、
みずからの愚劣を明るみに出すことでは。

精神はかつて「汝なすべし」を。
みずからのもっとも聖なるものとして愛した。
今や精神はこの
もっとも聖なるものの中にすら、
妄想と恣意とを見いださざるを得ない。
こうして彼はみずから愛していたものからの自由を奪いとる。
この強奪のために獅子が必要なのだ

幼子は無垢だ。忘れる。
新たな始まりだ。遊ぶ。
みずから回る輪だ。最初の運動だ。
聖なる「然りを言うこと」だ。

(三つの変化について)

ツァラトゥスゥトラは、人間の精神の3段階の変化を、
駱駝、獅子、幼子の3つに例えて説明しました。

駱駝は敬虔な信者のようにただひたすら
古い価値観(=世間の常識)が押し付ける
重荷に耐えるだけの精神。
獅子は古い価値観にNOをつきつけ
破壊する自由な精神。
そして幼子は、遊びながら創造する
無垢な精神を表しています。

人間だったのだ、神は。
しかも人間と自我のみじめな一かけらに過ぎなかった。
私自身の灰と灼熱から、この幽霊は現れた。
金輪際、彼岸から来たのではなかった。

(世界の向こうを説くものたちについて)

ツァラトゥストラは、
神など存在せず、
全ては人間の想像の産物に
過ぎなかったのだと
ばっさり切り捨ててしまいます。

ニーチェはその思想が原因で
生前は各方面から
激しいバッシングをうけたそうですが、
ここまで言い切ってしまえば
それも仕方ない反応でしょうね。

諸君、肉体を軽蔑する者よ。
諸君の愚行と軽蔑においてさえ、
君たちはみずからの「自己」に仕えている。
言おう、諸君の「自己」そのものが
死のうと欲しているのだ、
生に背を向けているのだ。

(肉体を軽蔑する者たちについて)

精神や魂といった形而上的なものを重視し、
肉体を軽視してきたキリスト教へのアンチテーゼ。

ニーチェは肉体こそが大いなる理性と考え、
魂は肉体にある何かを言い表す言葉であり、
精神に至っては肉体の道具であると語っています。

余談ですが、ニーチェに
傾倒していたことで知られる
作家の三島由紀夫も肉体を賛美し、
自らボディビルで強靭な肉体を
作り上げていたことは有名ですね。

すべての書かれたもののなかで、
わたしは血で書かれたものだけを愛する。
血で書け。ならばわかるだろう、
血が精神であることを

他人の血を理解することはたやすくできることではない。
わたしは読んでばかりいる怠惰なものを憎む。

(読むことと書くことについて)

本を読むことで知識は得られますが、
肉体を通じて体得することには勝りません。
(読書好きとしては耳に痛い…)

そういえば、ニーチェに影響を与えた
哲学者ショウペンハウエルも、
自著「読書について」で
身にならない読書の害について
自説を説いていましたね。

わたしの愛と希望にかけて願う。
君の魂のなかの英雄を投げ捨てるな。
君の最高の希望を聖なるものとして持ち続けよ―――

(山上の木について)

ツァラトゥストラは旅の途中で
とある若者と出会います。
若者は高みを目指すために
ツァラトゥストラの教え通りに
それまで信じていた価値を
否定することを実践しますが、
そのために周囲から孤立し、
精神的に疲れ切っていました。

そんな若者に対し、
ツァラトゥストラは木の喩えや
かつて英雄になろうとして挫折し、
堕落してしまった者たちの話をしたのち、
最後に上記の名言で締めくくって
若者を鼓舞します。

もしかしたらこの悩める若者の姿は、
誰にも自身の思想を理解されなかった
当時のニーチェ自身の心境を
反映したものだったのかもしれませんね。

戦いと勇気は、
隣人愛よりも多くの偉大なことを成し遂げた。
今まで多くの困窮した人々を救ってきたのは、
君たちの同情よりもその勇敢さだ。

(戦争と兵士ついて)

ツァラトゥストラは、
キリスト教最大の美徳である隣人愛を否定し、
常に敵を探し、勝利を求めよと説きます。

一見過激な思想ですが、かつて戦争が
文化や科学技術を高めた事実を考えると、
この言葉も頭ごなしに否定することはできませんね。

国家とは冷たい怪物のなかでももっとも冷たい、
それは冷ややかに嘘をつく。
その口から這いずり出てくる嘘はこうだ。
わたし、すなわち国家は、民族である。

(新しい偶像について)

帝国主義の時代を生きた
ニーチェの国家観が現れた章です。

ニーチェの思想はニーチェの死後に、
妹エリーザベトの
熱心な売り込み活動の甲斐あって
ナチスの思想基盤として
利用されてしまった歴史があります。

その点からも批判されることが
多いニーチェの思想ですが、
この章に見られるような
国家や権力に対する分析を見るに
私には、もしニーチェが生きて
ナチスの有様を見たならば、やはり
痛烈に批判して見せたのではないか
と思えてなりません。

国家が終わるところで、
はじめて人間が始まる。
余計などではない人間が。
そこで歌が始まる。
なくてはならない人間の、
一回きり、かけがえのない歌が。

(新しい偶像について)

ニーチェは国家が個人を支配する
全体主義には反対だったのでしょう。

個人の生に対し、
生涯をかけて深い思索を巡らせた
ニーチェならではの一節です。

市場はもったいぶった道化だらけだ。
―――そして大衆はこの道化を大物だと褒めそやす。
大衆にとって、彼らは時代の支配者だからだ。

(市場の蝿について)

実存主義の先駆けとも言われる
哲学者キルケゴールと同じく、
ニーチェもマスメディアの軽薄さを
心底嫌っていたようです。

大衆の人気を集める「もったいぶった道化」は
いつの時代も消えてなくならないのでしょうね。

友になろうとするのならば。
友のために戦わねばならない。
そして戦うためには、
敵になることができなくてはならない。

(友について)

友のために敵になるとは、
真の友情とは馴れ合いや同情ではなく
時には友のために
敵にねばならないということでしょうか。

今まで千の目標があった。
千の民族がいたのだから。
だがこの線の頸をひとつにたばねる軛がない、
ひとつの目標がない。
人類はまだ目標を持っていない

だが、どうか、わが兄弟たちよ。
人類にまだ目標がないなら、
―――人類そのものがまだ居ないのではないか―――

(千の目標とひとつの目標について)

ツァラトゥストラは、これまでに
千の民族が互いに異なる目標持ち
争い続けて来たためにまだ人類共通の
目標を持てていないのだと語ります。

しかし、人類が一つの共通した
目標をもつことなど可能なのでしょうか。
少なくとも、今の世界情勢を考えれば
それは遠い未来の出来事となりそうです。

君は、みずから自身の炎で、
自分自身を焼こうとせざるを得なくなる。
ひとたび灰になりおおせることなくして、
どうして新たに蘇ることができるというのか。

(創造者の道について)

ツァラトゥストラは、
自己の超克のためには、古い価値観を
燃やし尽くさねばならないと語ります。

平成26年度 教養学部学位記伝達式 式辞 – 総合情報 – 総合情報

2015年、東大総長の式辞において、
この箇所が上手く引用され
話題を集めたことも記憶に新しいですね。

結婚とわたしが呼ぶのは、
想像する二人が、
自分たち二人を超える一人を創造しようとする意思だ。
そういう意思を意欲する者として、
二人がお互いを畏敬し合うということ。
これを私は結婚と呼ぶ。

(子どもと結婚について)

結婚について語るツァラトゥストラ。
子供をつくることが、自分たちを超える
一人を創造することという考え方は
新鮮で非常に興味深いです。

ちなみにニーチェは生涯独身。
頭が良く、大学教授の職もありましたが
女性にはあまりもてなかったようです。

多くのものはあまりに遅く死ぬ。
ある者たちはあまりに早く死ぬ。
「死ぬべき時に死ね」、という教えはまだ耳慣れまい。

余計な人間たちも、
死ぬとなればもったいぶった意味をほしがる。
からの胡桃も割ってほしがる

(自由な死について)

選民的で横暴な思想ではありますが、
ニーチェの死生観がうかがえる
重要なパートでもあります。

認識する人は、
自分の敵を愛するだけでなく、
自分の友を憎むことができなくてはならぬ。
いつまでも弟子のままでいるのは、
師に報いることにはならない。
なぜ君たちは、
わたしの花冠をむしり取ろうとしないのか。

(贈るという徳について)

宗教では教祖が絶対であり
その教えを疑うことはタブーですが、
哲学では、先達の思想を疑い
それを乗り越えることが
正しい姿勢とされています。

ツァラトゥストラのいうように、
ただニーチェの思想を
盲目的に崇拝するのではなく、
その思想を元にして
時代にあった新しい思想を
自分の中で打ち立てていくことが
最も理想的な読者の在り方なのかもしれないですね。

諸君はまだみずから自身を探し求めなかった。
そこでわたしを見つけた。
いつも信者とはそういうものだ。
だから信じるということはたいしたことではない。

(贈るという徳について)

何らかの信者というのはえてして
他者に依存することで、自分の
心の空白の埋め合わせをしています。
(カルト宗教の勧誘が、
身内に不幸があったりして
心の弱っている人を狙うのはまさにそのため)

ツァラトゥストラは
そんな病的な生き方を否定し、
もっと自分自身に目を向け
健全に生きろと諭します。

全ての神々は死んだ。
いまわれらは、
超人が生まれることを願う。

(贈るという徳について)

1章を締めくくる言葉。
ニーチェの死から100年あまり。
果たして超人は地球上に現れたのでしょうか?

わが友よ、
わたしは諸君に忠告する。
ひとを罰したいという衝動がつよい者は、
誰であっても信用するな。

(毒ぐもについて)

ツァラトゥストラは平等の名の下に、
ひとを裁くことに至上の幸福を覚える人種を
、毒ぐもと呼んで蔑みます。

加えてツァラトゥストラは、
人間は平等などではなく、
また平等になるべきでもない
とまで言い切ります。

平等の是非はさておき、
人を許すことが出来ず、
罰せねば気が済まないという人は
たしかに世の中に一定数存在します。
(そしてそういう人を敵に回すと
大概厄介なことになるものです…)
毒ぐもとはまさに、ニーチェの言う
ルサンチマン(妬み)の象徴なのでしょう。

犬が狼を憎むように民衆が憎むものがある。
自由な精神だ。
束縛の敵となる者、
崇拝を拒む者、
森に棲む者だ。
彼らをその隠れ家から狩り出すことが、
–民衆が言う「正義感」だ。

(有名な賢者たちについて)

ツァラトゥストラが
民衆を犬にたとえて語った台詞。

自由というと、かけがえのない
素晴らしい価値というのが
一般認識ですが、もし目の前に
一切の道徳や社会規範から
完全に自由な人間が現れたなら、
大抵は周囲から恐れられ警戒されるでしょう
(自分たちのルールが通用しないから)。

このように、真の意味で自由な人間とは
自然に孤立してしまいそうなものですが、
ツァラトゥストラは、
優れた者はむしろ進んで
孤独になるべきだと説きます。

余談ですがこのセリフを読んで私は、
映画イージーライダーに登場した
弁護士ジョージ名セリフ
「人は個人の自由については、
いくらでも喋るが、
自由な奴を見るのは恐い」を連想しました。

傷つけることができないもの、
葬り去ることができないものが
わたしのなかにある。
岩をも砕くものが。
それはわたしの意思だ。
それは黙々として歩み続け、
幾歳月も変わることがない

(墓の歌)

「意思の力」もまた頻出ワード。
しかしな毎度ながら勇ましい教えです。

定期的に仕事でミスをやらかして
丸一日落ち込んでしまう
私のような人間には
超人への道はなかなか厳しそうですね(笑)

善と悪において
創造する者にならねばならない者は、
まさに、まず破壊する者となって
さまざまな価値を砕かざるを得ない。
だから最高の悪は
最高の善の一部だ。
そして最高の善とは、
創造的であることだ。

(克己について)

ツァラトゥストラは悪もまた
善の一部なのだと説きます。

この考えは西洋の伝統的な
一神教的世界観からすると異端であり、
かなり東洋よりの思想に思えますね。
(ちなみに、ニーチェが影響を受けた
ショウペンハウエルは仏教に傾倒し、
仏教は完璧だとまで言ったそうです。)

補足1 : 作品の書かれた時代と思想背景
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↑全寮制の名門校で学んでいた当時17歳のニーチェ

ニーチェは1844年、
裕福なルター派の牧師の家に生まれます。
19世紀のドイツは、当時各地に
散らばっていた諸侯をプロイセン王国が
連邦の盟主として統一、さらに1870年、
対仏戦争の勝利を契機として悲願であった
統一ドイツ帝国の樹立を達成します。

そして同時に訪れた産業革命によって、
ドイツ全体が近代国家として
急激な発展を迎えた激動の時代でした。

国の経済が潤ったことで
人々の生活は向上し、食糧事情や
医療環境は大幅に改善されます。
(ちなみに社会保障もこの時期に
ビスマルクが世界で初めて実施しています。)

しかし、暮らしが豊かになるにつれて
人々はだんだんと神を必要としなくなり、
キリスト教や教会は経済と反比例して
民衆に対する影響力を失っていきました。

「ツァラトゥストラ」でニーチェが説いたのは、
そんな神が必要とされない時代における
(ニーチェ流の)あるべき人間の生き方です。

このようなニーチェの思想は、
19世紀ドイツよりさらに豊かな
21世紀の日本に住む私たちにも
無縁ではなく、100万部を超える
ベストセラーになった「超訳 ニーチェの言葉」
に代表されるように、近年になって再び
熱い注目を集めるようになっています。

今回ご紹介する「ツァラトゥストラ」は
そんなニーチェの思想のエッセンスが
凝縮された代表的著作であり、
読むたびに新鮮な驚きを与えてくれる
書物なのです。

補足2 : 執筆にあたって参考にした書籍
ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)
ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

作者: フリードリヒ・W.ニーチェ,Friedrich Wilhelm Nietzsche,佐々木中
出版社/メーカー: 河出書房新社
発売日: 2015/08/05
メディア: 文庫
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2015年に河出文庫から出版された
かなり新しいツァラトゥストラの翻訳書。
翻訳は思想家、作家でもある佐々木中氏。
(※本記事の引用部分は全て本書からの引用です。)

有名な岩波版に比べて
適度にくだけた表現が使われており、
読み物として自然に読むことができます。

ただし、注釈や解説などは一切なし。
理解を深めるために、ネットと
他の解説書と併読すると良い感じです。

最後に
ツァラトゥストラの口を借りて
ニーチェが綴った言葉たちは、
あなたにどう響いたでしょうか。

今回ご紹介したものは、
全体の一部でしかありませんが、
ひとつでも心に残る
言葉があったなら幸いです。

そしてもし、原書を未読の方が
おられましたら、ぜひこの機会に
書籍の通読にチャレンジしてみてください。
(ニーチェの著書は文学的な向きもあって
哲学書としては頗る読みやすい部類ですよ)

男の幸せは「われ欲す」、女の幸せは「彼欲す」ということである。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #幸福
  
悪人がいくら害悪を及ぼすからといっても、善人の及ぼす害悪にまさる害悪はない。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
友たるものは、推察と沈黙に熟達した者でなければならない。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #友愛
  
かれらがほんとうに、いちばん望んでいることは、ただ一つだ、だれからもいじめられたくないということ。それでかれらは先取りして、だれにも親切にする。だが、それは臆病ということなのだ。たとえ徳と言われていても。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
真の男の中にはひとりの子供が隠れている。この子供が遊びたがるのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
傷つけられた虚栄心はあらゆる悲劇の母ではないだろうか。反対に、誇りが傷つけられた場合には、おそらく誇りよりももっとよいものが生まれるであろう。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #苦悩
  
女にとっては男はひとつの手段であり、目的はつねに子供である。男にとって女はなんであろう? 真の男は二つのことを欲する。危険と遊戯を。それゆえ男は女を欲するのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
人間が復讐心から開放されること。これがわたしにとって最高の希望、長い嵐のあとにかかる虹である。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
ひとを罰しようという衝動の強い人間たちには、なべて信頼を置くな!
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
あなたが出会う最悪の敵は、いつもあなた自身であるだろう。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人生
あなたの実力以上に有徳であろうとするな!できそうもないことを己に要求するな!
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
友への同情は、堅い殻の下にひそんでいるのがいい。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #友愛
  
君たちに名誉を与えるのは、君たちがどこから来たのかではなくて、どこへゆくかで決まらねばならぬ。君たち自身を超えてかなたをめざす意志と足とが、君たちの新たな名誉であれ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #名誉
  
わたしは光だ。ああ、わたしは夜でありたい。光に包まれていることがわたしの孤独だ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #孤独
  
罰しようとする衝動の強いすべての人間を信用するな。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
おのれの正義について多くを語るすべての人間を信用するな。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
正義はわたしにこう語っている。人間は平等ではないと。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #社会
  
最高の徳は通常性を離れた稀有のもの、不要のものであり、柔らかい輝きを帯びている。それは贈り与える徳である。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
深夜の明るみがわたしをつつんでいた。孤独がそのほとりにうずくまっていた。死の静寂も、喉を鳴らしている。わたしの最悪の女友達が。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #友愛
  
見るがいい。月は正体を現して、蒼ざめてかかっている。あけぼのの真紅の光の前に。はやくもあの灼熱する太陽がやってくる。大地への太陽の愛が。無邪気さと創造の欲望が。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛

大胆に自分自身を信じるがよい。おまえたち自身とおまえたちの内蔵を信じるがよい。自分自身を信じないものの言葉は、つねに嘘になる。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人生
  
刑罰とは、復讐が自分自身に与えた名前である。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
いつまでも忠実な弟子でいるのは、師に報いる道ではない。なぜ君たちはわたしの花冠をむしりとろうとしないのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
偉大なことをしとげるのは困難だ。しかし、より難しいのは、偉大なことを命令することだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #組織
  
値段のつけられたものは、すべて価値に乏しいものである。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
君たちは、憎むべき敵だけを持つべきで、軽蔑すべき敵を持つべきではない。君たちは君たちの敵を誇ることができなければならない。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
君たちの道を行け。他の大勢には、勝手に彼らの道を行かせるがいい。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #幸福
  
勝利という薄明かりの酔い心地のなかで目のくらまなかった者がいるだろうか。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人生
  
世界は尻を持っていて、人間に似ている。世界も多くの汚物を生み出す、そこまでは正しいが、だからと言って世界そのものは、決して巨大な汚物ではない。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #戦争・平和
  
世界における多くのものが悪臭を放っている。この事実のうちに、知恵が潜んでいる。吐き気が翼を創り出し、泉を求める力を生む。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人生
自分を抑制して通り過ぎるほうが、より多くの勇気の例証であることが、しばしばである。いっそうおのれに値する敵と戦うために、おのれを蓄えておくのである。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #勇気
  
おまえは偉大に向かうおまえの道を行かねばならぬ。おまえの背後にもう道がないということが、いま、おまえに最善の勇気を与えねばならぬ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #勇気
  
神はひとつの臆測である。だが、この臆測が持つあらゆる苦痛を飲み干したとき、生き延びるものはいるのだろうか。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
われわれがよりよく楽しむことを学び得るなら、他人に苦痛を与えようとする気持ちなどは、きれいさっぱり捨て去ってしまえるだろう。他人の苦痛になることを考え出すこともなくなるだろう。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #勉学
  
共に生きることは難しい。それは沈黙していることが難しいからなのである。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
人間の社会はひとつの試みである。そうわたしは教える。長期にわたるひとつの求め。そして人間の社会は命令する者を求めているのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #組織
  
いつも自分自身をいたわることの多い者は、その多いいたわりのために病弱になる。われわれを過酷ならしめるものを讃えよう。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
愛は孤独の極みにあるものにとっての危険だ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
あたりを見まわすと、わたしの道連れは、ただ時だけであった。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
血と格言を持って書くものは、読まれることを望まず、暗誦されることを欲する。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #読書
嵐を捲き起こすものは、最も静かな言葉である。鳩の足で来る思想が世界を左右する。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
人間は汚れた流れである。それを受け入れて、しかも不潔にならないためには、我々は大海にならなければならない。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
復仇は、みずから呼んで「刑罰」となす。それは、一つの虚言をもって良心のやましくないことをよそおうものだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #組織
  
私はお前たちに超人を教える。人間は超克さるべき何物かである。お前たちは人間を超克すべく何ごとをなしたか?超人は大地の意義である。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
結婚とは一つのものを創造しようとする意志だ。その一つのものは、それをつくる二つのもの以上のものだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #結婚
  
世界は深い。昼が考えたより深い。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #幸福
  
結婚は、愛という多くの短い愚行を終わらせる。一つの長い愚行として。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
私は隣人に対する愛を諸君には勧めない。私が諸君に勧めるのは遠き者に対する愛である。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
汝が平和を求めるならば、それは新しい戦いの準備としての、それでなければならない。永い平和よりも短い平和を求めよ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #戦争・平和
  
愛の中には、つねにいくぶんかの狂気がある。しかし狂気の中にはつねにまた、いくぶんかの理性がある。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛

孤独な人間は、たまたま出会った者に、すぐ握手を求めるようになる。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #孤独
  
怪物と闘う者は、その過程で自らも怪物にならないよう、気をつけなければならない。長い間深淵をのぞきこむとき、その深淵もじっとこちらを見つめているのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
君は言う「善行のためには戦いを犠牲にせよ」と。私は言う「善戦のためには万物を犠牲にする」と。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
女にはあまりにも長い間、暴君と奴隷とが隠されていた。女に友情を営む能力の無いゆえんであって、女の知っているのは恋愛だけだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #友愛
  
いっさいの命令には試みと冒険が含まれているとわたしには思えた。生あるものが命令するときには、いつも自分自身を賭けているのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #組織
  
人間が生きるすべての場所で服従という言葉が使われているのをわたしは聞いた。すべての生あるものは、服従するのである。自分自身に服従することができない者は、他者から命令されるということである。これが生あるものの天性なのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
最高の賢者たちよ、君たちの危険、言い換えれば善と悪との終末は川から来るのではない。あの意志そのものに潜んでいるのだ。常に生み続けていく、尽きることのない生の意志に。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #女
  
およそ生あるものの見いだされるところに、わたしは力への意志も見いだした。服従して仕える意志のなかにも、わたしは主人であろうとする意志を見いだしたのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
生の一切は、趣味と味覚をめぐる争いなのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #幸福
  
善と悪において創造者とならざるを得ないものは、まず破壊者となって、もろもろの価値を砕かざるを得ない。したがって、最高の悪は最高の善の一端である。そして最高の善とは創造的なものなのである。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人生
弱者が強者に仕えるのは、自分のほうは、さらに弱い者の主になろうとする弱者の意志があるからなのだ。支配する喜びは、捨てることができないのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
国家におけるいっさいは虚偽である。かむことを好む者は、ぬすみたる歯をもってかむ。彼の腸すらにせものである。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #真理
  
地球は皮膚を持っている。そしてその皮膚はさまざまな病気を持っている。その病気のひとつが人間である。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #社会
  
高さがいるから階級が必要なのであり、階段とそれを登っていく人たちの矛盾が必要なのだ!人生は登ろうとする。登りながら自己を克服しようとするのである。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人生
  
霊魂は肉体が衰え、いまわしくなり、飢えることを欲した。こうして肉体と地から脱れようと思った。哀れ、その霊魂こそ痩せ、いまわしくなり、飢えたのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
心から愛しているのは生だけだ。そして生を憎むときこそ、生をもっとも強く愛している。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
贈ることのなかにあるわたしの幸福は、贈ることで死んだ。わたしの徳は、ありあまって自分自身に倦んだ。与え続けるものの危険は、羞恥を失うことだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #幸福
  
勇気──攻撃する勇気は最善の殺戮(さつりく)者だ。死をも殺戮する。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #生死
  
わたしの手は与えつづけて休むことがない、それがわたしの貧しさだ。どこを見てもわたしの目にうつるのは、灯りをともした憧れの夜ばかり。それがわたしの妬みだ。与えるものの不幸せ。わが太陽の憂鬱。欲しがることへの憧れ。飽食のなかの激しい飢え。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #幸福
  
すべての悦びは永遠を求める。深い、深い永遠を欲する。 中略 わたしはおまえを愛しているのだ、永遠よ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
過去に存在したものたちを救済し、いっさいの「そうであった」を「わたしはそう欲した」に創り変えること。これこそはじめて救済の名に値する。意志、それが解放し、喜びをもたらすものの名前だ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #孤独
  
君たちはわたしを敬う。しかし、君たちの崇拝がくつがえる日が来ないとは限らないのだ。そのとき倒れるわたしの像の下敷きにならないように気をつけよ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #政治
  
支配欲。もっとも強固な心情の所有者の受ける熱火の鞭である。もっとも残忍な者に加えられるべくしておかれた残忍な辛苦。生きながらの火刑のための暗い炎、大いなる軽蔑を教える教師、都市や国家の顔にも、去るがよい、と説教を浴びせかける。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #苦悩
  
同情は厚顔である。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
おまえはあらゆる事の根底と背景を見ることを欲した者だ。それゆえおまえはどうしてもおまえ自身を超えて登らねばならぬ。(中略)自分自身を、そして自分の星々を見下ろすこと、それこそが自分の頂上の名に値するのだ。それが自分の最後の頂上として残されたのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #勉学
  
人間たちのあいだにまじって生きていると、人間というものを見失う。すべての人間には、あまりに多くの背景がある。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
死ぬときにも、そこにはなお君たちの精神と君たちの徳とが燃え輝いていなければならぬ。大地を包む夕映えのように。そうでなければ君たちの死は失敗ということになる。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #生死
  
君たちが私の死に接して、そのために大地への愛をいよいよ深めていくように、そういうふうにわたし自身は死にたいと思う。そしてわたしは再び大地の一部となって、わたしを生んだこの母の中で安静を得たいと思う。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
なにからの自由なのかは些細なことだ。重要なのは、なにを目指すための自由なのかということだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #自由
  
きみが高みに登れば登るほど、妬みの目は、遠ざかる君を小さく見る。飛び抜けて高く駆け上がる者は、もっとも憎まれる者なのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #嫉妬
眠りに敬意と羞恥心を持て。 中略 よく眠るためには、あらゆる徳を持たねばならぬ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #睡眠
  
偉大なものを見分けるには、いまはもっとも鋭敏な者たちの目でも粗悪すぎる。今日は賎民の時代なのだ。わたしはすでに、背伸びして自分を膨らませている者を何人も見た。民衆は叫んだ、偉大な人物だ!と。しかし、ふいごがいくらあったとしても、結局、風は漏れる。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
お前たち高名なるすべての賢者よ、お前たちは、民衆と民衆の迷信に奉仕してきたし、真理には仕えなかった! そして、それゆえにこそ、人はお前たちに畏敬を払った。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #真理
  
人は、友への愛によって友への嫉妬を克服しようとすることがままある。また、自分が攻撃されやすい弱さを持つことを隠すために、他者を攻撃し敵を作ることもしばしばである。少なくとも私の敵であれ! 友情を不器用にしか求められぬ者の真意ある言葉である。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #友愛
  
おまえたちは、かつて、快楽にたいして然り!と言ったことがあるか。そう言ったことがあるなら、おまえはいっさいの苦痛にたいしても然り!を言ったことになる。すべてのことは、鎖によって、糸によって、愛によって繋ぎあわされているのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
わたしは、大いに軽蔑する者を愛する。人間は克服されなければならない或るものなのだから。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
一切の事物が永遠に回帰し、わたしたち自身もそれにつれてえ回帰するということ。わたしたちはすでに無限の回数にわたって存在していたのであり、一切の事物もわたしたちとともに存在していたということです。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
ついにこのあいだも、わたしは悪魔がこう言うのを聞いた。「神は死んだ。人間への同情のために、神は死んだ。」
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #生死
  
生はわたしに、みずからつぎのような秘密を語ってくれた。「ごらんなさい」、生は言った、「つねに自分で自分を克服しなけばならないもの、わたしはそれなのだ。」
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
もし君が悩む友を持っているなら、君は彼の悩みに対して安息の場所となれ。だが、いうならば、堅い寝床、戦陣用の寝床となれ。そうであってこそ君は彼に最も役立つものとなるだろう。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #苦悩
人間は深淵に架けられた一条の綱である。渡るも危険、途上にあるも危険、うしろをふりかえるも危険、身ぶるいして立ちとどまるのも危険。人間において偉大な点は、それが橋であって目的でないことだ。人間において愛されうる点は、それが過渡であり、没落であることだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
しかしわたしの創造の意志、わたしの運命がそれを欲しているのだ。もっと率直に言うなら、そのような運命こそわたしの意志は欲しているいるのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人生
  
人間にとっては大地も人生も重いものなのだ。それは重力と魔のしわざである!しかし軽くなり、鳥になりたいと思う者はおのれ自身を愛さなければならない。――これがわたしの教えである。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
女のもとへ赴こうとするならば鞭を忘れるな。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
「女は誰をいちばん憎むか」鉄が磁石に問うた。「私はお前をいちばん憎む。なぜなら、お前は牽くことをなし、しかも、お前のもとへ牽きよせる十分の力をもたないからである。」
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
生み終えた時、人は汚れている。女たちに問うがよい、生むのは慰めのためではない。苦痛に耐えかねて、鳥も詩人も人も声を上げて泣くのだ。創造する者たちよ、あなたがたには多くの汚れがある。それは、あなたがたが母にならざるを得なかったからだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #社会
  
多くのつかのまの愚行それを諸君は愛という。そして諸君の結婚は、一つの長期間にわたる愚行として、多くのつかのまの愚行に終止符を打つ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #苦悩
  
創造――これこそ苦悩からの大きな救済であり、生きることを軽快ならしめるものである。しかしまた、創造する者が生まれでるためには、苦悩と多くの変化が必要である。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #苦悩
  
あなたがたの隣人を、あなたがた自身と同じように愛するもいいだろう。――だが、何よりもまず、自分自身を愛する者となってくれ。――
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
「人間は平等でない」また、人間は平等になるべきでもない!かりに、わたしがそう言わないとすれば、わたしの超人への愛はいったい何だろう?
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛

わたしは誰もが慎重に調べて、物を買うのを見た。誰もが抜目のない目つきをしている。しかし妻を買うとなると、おそろしく抜目のない男も、袋入りのままで買う。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #結婚
  
かれらにとって、徳とは、謙遜ならしめ、温順ならしめるものである。そういう徳によってかれらは狼を犬にし、人間そのものを人間の最善の家畜にした。しかし、それがすなわち凡庸というものだ、たとえそれが中庸と言われていても。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
人が根底から愛するのは、ただ自分の子供と事業だけなのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
おまえ自身の血管のなかに、腐って泡を立てている沼の血が流れているのではないか。だからおまえは醜くカエルの鳴き声をあげ、誹謗ばかりしているのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
おまえたちの意欲するままに行え。しかしまず、意欲できる人間になれ。おまえたちの隣人をおまえたち自身のように愛するがいい。しかしまず、自分自身を愛するものになれ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
大きい愛は、愛されることを求めない。愛されること以上のことを求める。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
このヨーロッパというところは、どこの中年の奥さんよりも疑いぶかい。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
この瞬間をみよ、と私は言葉をつづけた。この瞬間という門から、ひとつの長い永劫の道がうしろに向かって走っている。すなわち、われわれのうしろにはひとつの永劫があるのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
うしろへの道、それは永劫に続いている。それから前をさして延びている道、それは別の永劫に通じている。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
いつも待っている他に能のないものをも、わたしは哀れなものと呼ぶ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
人はおのれみずからを愛することを学ばねばならない、すこやかな愛で。おのれがおのれ自身であることに耐え、よそをさまよい歩くことがないためにである。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
高貴な魂はどんなものをも無償で得ようとは思わない。ことに生を。賎民は無償で生きようとする。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人生
  
飛ぶことを学んで、それをいつか実現したいと思う者は、まず、立つこと、走ること、よじのぼること、踊ることを学ばなければならない。最初から飛ぶばかりでは、空高く飛ぶ力は獲得されない。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #勉学
  
わたしの最大の危険は常に、いたわること、あわれむことにあった。しかも人間というものは常に、いたわられ、あわれまれることを欲しているのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
おまえ、ひとりきりの人間よ、おまえは多くの人間のあいだにはいって、そこでいっそう見捨てられた者になった。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
善良な人間と自称するものたちが、もっとも有毒な蝿だった。かれらは何の責任感もなく刺し、何の責任感もなく嘘をつく。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
肉欲。自由な心情にとっては、無垢で純粋なもの、地上における花園の幸福、すべての未来がいまに寄せるあふれるばかりの感謝。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #性欲
  
自己を愛し、それゆえに自己を軽蔑しているのだ。かれは愛することの大きい者であり、したがって軽蔑することの大きい者である。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
安らかに眠っているがいい。いまわたしはおまえと別れる。時がめぐったのだ。黎明と黎明のあいだにひとつの新しい真実がわたしを訪れたのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #運命
  
きみはこう言うべきなのだ。「わたしの魂の痛みと楽しみをなすもの、さらにわたしの内臓の飢えでもあるもの、それは言い表し難く、名付け難いものである」と。馴れ馴れしく説明されるには、きみの徳は高すぎるものであって欲しい。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
正しく与えることは、正しく受け取るよりも、難しい。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
両者はほんのわずかばかり事情が違っていれば、あい寄って愛撫を交わしたかもしれないのだ。犬と孤独者とは。なぜなら、お互いに孤独だからだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #孤独
  
わたしの真なる友よ。きみはきみのくだらない隣人にとって、良心の呵責なのだ。かれらはきみの隣人としての値打ちがないと自覚しているから、きみを憎み、血を吸いたがるのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #友愛
  
君は君の友のために、自分をどんなに美しく装っても、やり過ぎということはない。なぜなら、君は友にとって、高すぎる目標を目指すための憧れの熱意であるべきだからだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #友愛
  
わたしはおのれの最高の希望を失った高貴な人たちを知っている。そのとき、彼らはあらゆる高い希望への誹謗者となった。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人生
  
大きい魂たちには、いまなお自由な生活が開かれている。まことに、所有する事の少ない者は、他から所有される事も少ない。少ない所有に安んじている貧しさを讃えよう。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #貧富
  
神をもっとも多く愛し、もっとも多く所有していた者が、いまは神をもっとも多く失ってしまったのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #愛
  
絶望している者の顔を見れば、誰しも陽気になるものだ。誰しも、自分は絶望している者に話しかけるくらいの元気はある、と思うものなのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #苦悩
  
あなたがたの能力以上のことを望むな。能力以上のことを望む者たちには、邪悪な欺瞞がやどる。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #政治
  
あなたがたは、わたしから見れば、まだ悩み足りない。それはあなたがたが、あなたがた自身を悩んではいるが、人間を悩んだことはないからだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #苦悩
高くに登ろうとするならば、自分の足を用いよ。他者の力で運ばれてはならない。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #処世
  
手のひら大の根底。その上に人は立つことができる。真の良心的な知識の世界には、大小の区別はない。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #勉学
  
神の同情にせよ、人間の同情にせよ、同情は恥知らずである。助けようとしないことは、助けようとすぐに駆け寄って来る徳よりも、高貴でありうるのだ。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #人間
  
いっさいの真理から追放されたいという願い。
フリードリヒ・ニーチェ『ツァラトゥストラはかく語りき』 #真理 (via ONOMANSKY.BLOG!)
  

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